41『“シセーリア”の壁』



 武器を持つ事で人は強く在ることができる。
 しかし武器を持つ事では人は強くなれない。

 その者は元々強かった。
 強かった上に、武器を手に入れて、
 その武器のお陰でとても強く在る事が出来た。

 だがその者は、その事を忘れてしまった。
 その為にその者は、強く在ることが出来ても、
 その者自身の強さを、失ってしまった。



 生徒勢の陣を抜けたカーエスはそのまま真直ぐクーデター勢の正面に歩いて行った。そのあまりに大胆な行動に、忘れたようにクーデター勢は彼に攻撃を加えようとしない。

「ディオスカスッ! ディオスカス=シクト、出てこいッ! 俺と勝負や!」

 カーエスが指導者の名前を呼んだところで、クーデター勢の一人が、思い出したように彼に攻撃した。

「貴様ごときがおこがましい、これでも喰らえ! 《鷲掴む炎》よ、その灼熱の炎によりて我が敵を燃やし尽くせ!」
「我が前に立ち塞がりし《増幅する魔鏡》は、受けた光を倍に増して反射する!」

 カーエスに向かって放たれた炎は、彼の前に現れた障壁に当たると、その大きさを倍に増して、術者に返る。
 《鷲掴む炎》の術者は成す術もなく、自分に返ってきた炎を浴びる。

「う、うわあぁっ!」
「おんどれこそオコガマシイ。雑魚は黙っとれ」

 一瞥して、言い捨てるカーエスに、自分の部下を退かせて歩み寄ってくる男がいた。ディオスカス=シクトその人である。

「私に何か用かな?」
「よう、俺とサシで闘ろうやないか」

 カーエスは、頭一つ上から見下ろしてくる体勢となっている長身のディオスカスの視線を正面から受けて不敵に言った。
 普段のカーエスからすると違和感のある蒼い瞳に、ディオスカスは興味ありげな笑みを返して答えた。

「“魔導眼”保持者か。面白い、その勝負受けようではないか」


 二人は、生徒勢とクーデタ勢の真ん中に改めて向かい合った。カーエスは身構え、ディオスカスは懐から伸縮式の杖を出して伸ばし、右手に持つ。そのまましばらく睨み合いが続いたが、カーエスは、ディオスカスが自分から動く気がない事を悟ると、先手を打った。

「地に潜む雷よ、《地走り》て我が敵の影を撃て!」

 魔導完了後、カーエスは地面にしゃがみ、拳を叩き付ける。するとその拳からディオスカスの足下に向かって、電気が一直線に走っていく。
 ディオスカスは、余興でも楽しむかのように眺め、ギリギリまで引き寄せると、「ここに敷かれしは《土の陣》、電気は決して入るべからず」と、落ち着いて呪文を唱え、《地走り》を防ぐ。
 それだけでは終わらない。ディオスカスは続けざまに次の魔法の詠唱に入った。

「大地よ、見せるがいい。海のような柔らかさを」そして、杖を地面に突き詠唱を締めくくる。「《波打つ大地》」

 杖の石突きが地面に着いている点から、カーエスに向かい、地面が水面のように波紋を広げた。
 自分の立っている場所が大きく揺れてカーエスがバランスを崩すのを確認すると、ディオスカスは間髪入れずに次の魔法に入る。

「風のごとく走れ《弾け飛ぶ雹》、拡がりて我が敵を捉えよ」

 魔導と共に、ディオスカスの正面に大きな氷塊が生まれ、彼が杖を一閃させると、カーエスに向かって飛んでいく。そして、その氷塊はカーエスに当たる直前、ぱっと弾けその破片がカーエスに襲い掛かった。
 だが、カーエスはバランスを崩しながらも冷静な判断を崩さず、防御魔法を唱える。

「ここに敷かれしは《炎の陣》、冷気は決して入るべからず!」

 カーエスの魔導によって現れた炎の壁が彼に襲い来る氷の破片を全て消滅させた。
 と、そこで急に彼の足下が盛り上がり、彼の顎目掛け、大地が鋭く隆起してきた。ディオスカスが《大地の拳》を発動したのだろう。
「……っ!」と、声にならない呻きと共に彼はそれを反射的に仰け反り、《大地の拳》を避ける。
 しかし後方に避けたのが失敗だった。

「大地を揺るがすは地上の波。そのうねりを持ちて飛ばすは《岩飛沫》」

 《大地の拳》で隆起した地面が元に戻り、ディオスカスを隠していた死角がなくなると、カーエスの目の前に現れたのは自分に向かって飛んでくる一団の岩だ。防御魔法は間に合いそうにないので、横っ跳びに避けようとしたところで、カーエスは自分の足下を見て戦慄を覚える。
 一塊の氷が足枷のように彼の足を縛っていたのだ。氷属性捕縛魔法《氷の足枷》である。さきほど、《大地の拳》を避けたさい、《岩飛沫》を唱える前に行使したのだろう。

 カーエスはとりあえず頭を腕でガードし、《岩飛沫》を受けた。カーエスの腕と脇腹、太ももにかなりの大きさの岩があたり、カーエスは地面に転がされる。


 なんとか膝をついた体勢を取り戻すと、ディオスカスを改めて見据えた。

「一ラウンド目は私に軍配が上がったようだが?」

 さて、どうする。と、余裕を持った表情で問いかけるディオスカスに、カーエスは睨み付けて答えて言った。

「上手い連携やったな。認めたる」そして、カーエスは目をカッと見開き、痛みを堪えて立ち上がって叫んだ。「せやけど、まだまだ勝負は始まったばっかりや! 大地よ、我が魔力に育まれよ! 若草よ、萌えよ! 花よ、咲き乱れよ! 樹木よ、繁れ! 高く広く伸び広がりて、あの空を覆い隠せ! そしてここに生まれよ、多くの命をその手に抱く《恵みの森林》!」

 カーエスを中心に、半径二メートルの円が輝きはじめ、その光の中から、映像の早送りでも見ているかのように、芽がでて、育まれ、あっという間に円の中に立派な森が完成した。

「地走れ、《絡み上げる根》! 樹木を支える強さで我が敵捕らえんがために!」

 その魔法が発動しても、一見何か起こっているようには見えない。しかし、数秒後ディオスカスの足下の地面を突き破り、太い根がディオスカスを捕らえんとその手を伸ばす。
 ディオスカスは落ち着いて《絡み上げる根》を避けると、《岩飛沫》を持って反撃する。

 先ほど自分に初ダメージを与えた一団の岩を見据え、カーエスは防御魔法を行使した。

「我を庇護せし《樹木の守り》は、我を傷付けるものの進行を許さず!」

 魔法の発動と共に、彼を囲う木々から枝が伸び、草が絡まって一つの壁を構成した。《岩飛沫》はその壁にぶつかり、消滅する。
 続いて、カーエスが唱える。

「木の葉達よ、刃を持て! 風に乗って舞い踊り、《木の葉乱舞》となりて我が仇を切り刻め!」

 呪文の詠唱と共に起こった強風によって《恵みの森林》の木々の葉は千切りとられ、風に乗ってディオスカスに殺到した。木の葉一つ一つの攻撃力は微々たるものであるため、ディオスカスは軽い障壁を張ってその木の葉の攻撃をやり過ごす。
 そのディオスカスの足下に、赤い円が描かれていく。

「燃え立ち上がれ、《火柱》!」

 ディオスカスは一歩後退し、《火柱》の直撃をやり過ごすが、その炎は彼を取り巻く木の葉に燃え移り、大きな炎と化した。
 自分を焼き付くさんとその牙を向く炎を見回し、ディオスカスはふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らして呪文の詠唱を開始した。

「冷気よ、我が元に集れ。風よ、吹き荒べ。水よ、凍り付け。雪よ、踊り狂え。高く積もりて大地を覆い隠せ。ここに訪れよ、全ての生物を死に誘う《雪山の厳冬》」

 ディオスカスの詠唱に伴って、彼を中心に冷たい風が巻きはじめ、雪が舞いはじめた。その冷気に彼を取り巻いていた炎は退き、風が巻く範囲が拡がると完全に鎮火してしまう。それでも、範囲の拡大は収まらず、最終的にカーエスのいる《恵みの森林》を取り込んでしまった。
 その寒さに、カーエスを取り巻く森林が寒さに枯れ果て、その地面にはどんどん雪が積もっていく。
 雪を伴い、吹き荒ぶ風の中心で、ディオスカスは真直ぐカーエスに視線を送って言った。

「……これで終わりか?」

 にやりと持ち上げられるディオスカスの口元に、カーエスは半ば衝動的に対抗する魔法を唱えた。

「大気がその身に熱を宿せば、そこは全てが燃ゆる《熱地獄》!」

 カーエスが魔法を発動すると、カーエスとディオスカスの間を中心に、身を焼くような温度を持つ空間が広がり、《雪山の厳冬》で現れた冷風、雪を全て消し去っていく。
 雪が融けた水は二人の足下を浸していたが、それはカーエスの方に引いていく。

「水よ、波立て! 波よ、立ち上がりてより大きな《津波》となれ! 《津波》よ、汝が巻き込みしもの全てを洗い流せ!」

 カーエスの魔法によって吸い寄せられた波はその量を更に増して大きな高波となり、ディオスカスの前に立ちはだかった。
 成長と続けながら、自分を取り込まんと押し寄せてくる《津波》を前に、ディオスカスが防御行動に出る。

「《抱き包む石》よ、その冷たく堅き腕の中に我を迎えよ」

 周りの地面が盛り上がり、それがドーム上の岩となって彼を包む。そこに《津波》が押し寄せ、《抱き包む石》ごと、その大量の水の中に飲み込んだ。
 《津波》による大量の水が引いた場にはぽつんと無傷の《抱き包む石》が残されていた。相当強力な防御魔法らしく、レベル7の《津波》を喰らった後でも、全く傷が付いている様子はない。
 しかしカーエスは、強力な魔法なりに弱点がある事を見抜いていた。《抱き込む石》はドーム上の石の中に自らを閉じ込める魔法だ。石の中からでは外の様子は見えない。今、自分がこうして駆け寄っていても。

 十分に距離を詰めたところで、《抱き包む石》にひびが入り、その中からディオスカスが出てくる。そしてその目の前には、カーエスが迫っていた。

「第二ラウンドは俺の勝ちやなぁ! 《鷲掴む炎》よ、その灼熱の炎によりて我が敵を燃やし尽くせ!」

 カーエスの突き出された手から、激しい炎が放たれた。近距離からの発動であるため、ディオスカスはせめて威力をやわらげるための障壁を張るくらいしか防御手段はないはずだ、否、“はずだった”。
 結果を述べると、カーエスの《鷲掴む炎》はディオスカスを傷つける事はなかった。呪文無しに発動した対炎属性魔法用防御障壁によって阻まれたのである。

「なっ……!?」

 完全に隙を付いたはずの攻撃が防がれ、カーエスは驚きを隠せない。
 《抱き包む石》の弱点を利用して攻撃する事を読まれていたのか、それにしてもなぜ炎属性魔法だと分かったのか。否、その前にあれほどの防御魔法を行使している片手間に、別の魔導を行えるのだろうか。
 疑問が頭の中を駆け抜けるなか、視界の中のディオスカスはにやりと笑って《弾け飛ぶ雹》を発動していた。それによって生み出された氷塊は彼の腹部に命中し、今回のカーエスこそひとたまりもなく吹き飛ばされてしまう。

「どうやら第二ラウンドも私のもののようだ。《弾岩》よ、駆け飛びて我が敵を撃ち抜け」

 追撃に行使された魔法により、一塊の岩が勢いよくカーエスに向かって飛んでくる。
 カーエスは上手く息を吸えないのを何とか堪え、飛んでくる《弾岩》に向かって手を伸ばした。

「我が前に立ち塞がりし《増幅する魔鏡》は、受けた光を倍に増して反射する!」

 伸ばされた手の平に、明るく輝く障壁が生み出され、《弾岩》を受け止めた。それだけではなく、《弾岩》は速さと大きさを増し、ディオスカスに返る。
 まさか、自分がこれを返せるとは思っていなかっただろう、とカーエスは内心ほくそ笑む。今度こそ完全にディオスカスの裏をかいたはずだ。
 が、待たしても増幅され、ディオスカスに弾き返された《弾岩》が、彼を傷つける事はなかった。先ほどと同じく、詠唱無しで対土属性魔法用障壁が展開され、《弾岩》は呆気無くその壁に阻まれ、砕け散る。
 だが、先ほどとは逆に、カーエスは頭の中が冷静になっていくのを感じた。今回はその魔法が発動する瞬間を自分の“眼”で見、そして全ての疑問が氷解したからである。


「……どうも、そんな悪趣味な杖を振り回しとる思うたら、そういうことやったんか」

 立ち上がったカーエスの視線の先にあるのは、決闘を始める前にディオスカスが手にした杖だ。特殊合金であろう銀色の杖身には魔導紋様が施され、石突きと杖頭には宝石にも見紛うほど上等な魔石が設えてある。一見には、やたらと豪奢ではあるが、一般の魔導士がよく使う魔導制御の補助や、足りない魔力を補完するための普通の杖にしか見えない。
 先ほどカーエスが見たのはディオスカスではなく、この杖の魔導によって障壁が展開される光景だった。つまり、この杖は持ち主を護るために自動的に障壁を張る能力を持つ魔導武器だったのだ。

「なるほど……その“魔導眼”はただのハッタリではなかったわけだな」と、ディオスカスは、見破られたことに対して多少の満足さえ感じられるほどの余裕を持った雰囲気で言った。そして、自分の手に持った杖を目の前に掲げて見せる。
「いかにもこの杖“シセーリア”は持ち主に襲い繰る危険に対し、魔法障壁を張る能力がある。しかも、属性を自動的に判断し、最適な障壁を張るという機能までついている。“小さなセーリア”という名前はこの杖にぴったりだろう?」

 得意げな笑みを浮かべると、ディオスカスはその杖をふりかざし、魔法の詠唱に入る。カーエスが“魔導眼”で魔導を一見したところ、かなり大掛かりな魔法のようだ。普通なら一手目で大技は禁忌とされるのだが、ディオスカスが持つ“シセーリア”が、それを許している。邪魔をしようと思っても手が出せないのだ。

「水よ、冷気よ、集いて数多なる雪を我が頭上に! 白く優しく見える雪なれど、集えば全てを押し流す恐怖とならん! 我が声に応えて駆け降れ、白き凍てつく奔流……」そこで、ディオスカスは掲げた杖を力強く振り降ろした。「《全層雪崩》!」

 すると、何もないディオスカスの頭上から大量の雪が溢れ出すように現れ、カーエスに向かって落ちてくる。しかし、《全層雪崩》の使用を“魔導眼”で見切っていたカーエスは《熱地獄》を発動し、襲ってくる雪を端から融かし、難を逃れる。
 さきほど《津波》でやったのと同じように、融けた水をつかって魔法を行使する。

「留まりし水よ、流れを持ちて突然なる《鉄砲水》となれ!」

 カーエスの魔力によって支配された水は、一筋の強い流れとなり、ディオスカスを襲う。が、ディオスカスは微動だにせず、“シセーリア”が障壁を構成して《鉄砲水》の強大な水圧をいなす。
 無論、種が明かされたからには《鉄砲水》だけでやれると考えるほどカーエスも馬鹿ではない。《鉄砲水》の発動直後、別の場所に移動しつつ、矢継ぎ早に呪文を唱える。

「《弾岩》よ、駆け飛びて我が敵を撃ち抜け!」
「風の中を走れ、疾く鋭く! 《かまいたち》!」
「風のごとく走れ《弾け飛ぶ雹》、拡がりて我が敵を捉えよ!」

 岩の塊が、真空波が、氷塊がディオスカスを襲うが、それに応じて“シセーリア”も次々と障壁を構成していく。最後の《弾け飛ぶ雹》に合わせ、“シセーリア”に対し《魔導の乱れ》も使ってみたが、やはりプログラム通り魔導を行うだけの魔導武器にたかだか妨害を行うだけの《魔導の乱れ》は通用しない。

「まだやっ! 《電光石火》によりて我は瞬く速さを得ん!」

 一瞬だけ光のような速さで動ける魔法で、カーエスは瞬く間にディオスカスとの距離を詰め、腰だめに構えた拳をディオスカスに向かって突き出す。

「物理攻撃なら、どうやっ!」

 しかし、次の瞬間カーエスは“シセーリア”によって展開された対物理攻撃用障壁に弾き飛ばされてしまう。

 魔法攻撃も、物理攻撃も通用しない。一体どうすればいいのか。
 そんな疑問が顔にあらわれるカーエスに、ディオスカスは嘲るように笑って言った。

「万策尽き果てたと言うところだな、カーエス=ルジュリス。魔法も拳も“シセーリア”を破ることは出来ない。ここまでくると、これこそ“完壁”と呼ぶべきなのかもしれんな?」

 ディオスカスの言葉に、カーエスに見え始めていた絶望の色が消える。
 カーエスは黙って立ち上がると、怒気に満ちた表情を見せつけ、あらん限りの声でディオスカスを怒鳴り付けた。

「ワレごときがカルク先生の二つ名を口にするんやないわっ! 先生の“壁”はホンマに隙がない。破りようのない、地の滲む努力の末に得たホンマモンの“完壁”や! ワレみたいに悪趣味な杖に縋ってホイホイ得られるような紛いモンやない!」

 カーエスの態度の豹変に、ディオスカスは眼を細める。ただでさえ厳つい顔のディオスカスは、そうすると殺気が感じられ、直視すらし難いものになるのだが、カーエスは真直ぐにその視線を受け、腰を落として身構える。

「第四ラウンドや。ワレの“壁”が如何に脆いか教えたる」


 仕切り直しの末に、先に動いたのはやはりカーエスだ。ディオスカスは防御に動く必要がないので、その場に留まり、カーエスがとる行動を観察している。

「風のごとく走れ《弾け飛ぶ雹》……」と、カーエスは一見普通に魔導を行うが、次の瞬間、カッと眼を見開くと共にその魔導を中断し、新しく魔導を組み直す。「風の中を走れ、疾く鋭く! 《かまいたち》!」

 その名を口にすると共に、一閃されたカーエスの腕からは真空波が生み出され、ディオスカスを斬り付けんと襲い掛かる。しかし、ディオスカスの持つ“シセーリア”が発動し、防御するための障壁を張る。
 が、カーエスの放った《かまいたち》はあっさりとその障壁をくぐり抜け、ディオスカスを鋭く斬り付けた。

「なっ……!?」

 大きく眼を見開き、胸にしっかりと刻まれた切り傷と、カーエスを交互に視線を移す。
 カーエスはそれを全く気にせず、次の魔法の詠唱に入る。

「地走れ、《絡み上げる根》!」と、再びここで、詠唱と魔導を切り、素早く別の魔法に変える。「《弾岩》よ、駆け飛びて我が敵を撃ち抜け!」

 ディオスカスの手の中の“シセーリア”ははめられた魔石を淡く光らせ、発動を知らせる。しかし、またしてもディオスカスに向かってくる《弾岩》を弾くことはなかった。が、ディオスカスはとっさに身を捩らせ、胴体に当たりそうなところを、肩を掠らせる程度にとどめる。

「随分と不思議そうやな? 何で発動してんのか、何でそれやのに防がれへんのか、そういう顔しとるで」

 《弾岩》の掠った肩を抑えながら、カーエスを睨み付けるディオスカスに、カーエスは口元のみに笑みを浮かべ、数歩近付く。

「要するに、その杖は二つ同時には障壁を作られへん言うことやな」

 ディオスカスの握る魔導武器“シセーリア”の能力が露見してから、カーエスはずっと“シセーリア”が発動する様子をつぶさに観察していた。どんな条件で、どんなタイミングで、どのように発動するのか、それこそ一切見逃さないように注意して見ていた。
 その結果、分かったのは、発動するタイミングは、カーエスの魔法が発動する前だという事だった。もっと正確に言うと、魔導の過程で、放つ魔法の属性が決定される瞬間だ。そこまで見切れるのだから“シセーリア”には驚くべき解析能力が備わっていると言える。

 そこでカーエスがとったのは、“シセーリア”が発動し、障壁を構成するための魔導を開始した時点で、自身の魔導を中断し、別の魔法に切り替えるという策だった。“シセーリア”は既に発動し魔導を開始した時点で、それを途中で止める事は出来ない。
 結果、カーエスが直前に唱えていた魔法の為の障壁を構成するものの、切り替えて行使した魔法の為の障壁ではないため、素通ししてしまったのである。

 ちなみに、この時カーエスが使った技術“切り替え”はそう簡単にできるものではない。魔導によって動かされる魔力にも、物理学でいう慣性の法則のような力が働いている。中断する事は、誰にでもできるが、即座に別の魔法に“切り替え”る事ができるのは、ごく限られた者のみである。
 出来ても、カーエスのようにスムーズには行かない。自分の魔導を肉眼で確認できるカーエスだからこそ、無理なく“切り替え”られる魔法、タイミングを選ぶ事ができるのだ。

「なるほど、参考になった」と、カーエスの説明を聞いたディオスカスは納得した様子で、頷いた。そして、また余裕を取り戻した様子でいう。「だが、まだまだ青いな。得意げに語る気持ちは分かるが、その策だと対抗策はいくらでもでて来るぞ」

 ディオスカスの言う通り、ネタが割れてしまえばカーエスの使った“切り替え”は対抗策を施す事ができる。“シセーリア”だけが防御魔法を使えるのではない、そこにはディオスカスも要るのだから、“切り替え”た時、“切り替え”た魔法に合わせてディオスカスが防御魔法を行使すればいいのだ。

 だが、そんなディオスカスに対し、カーエスは笑い返して答えた。

「青いのはアンタやな」

 普段よく笑うカーエスだが、その笑みは今まで見た事のないような嘲りを含んでいる。カーエスが今だ発している怒気に相まって、その表情は凄惨ささえ帯びていた。
 嘲笑など受けた事のないディオスカスは、カーエスの笑みに思わず、感情を荒げた。

「何だと、貴様ァッ! 汝を照らすは《極寒の光》! その光を浴びし者、その身に冷たき痛みを刻み込まれん!」
「我が前に立ち塞がりし《増幅する魔鏡》は、受けた光を倍に増して反射する!」

 カーエスが差し出した手のひらに、明るく輝く障壁が生まれ、ディオスカスが放った触れたものを凍結させる光線を倍の太さにして跳ね返す。
 そして、カーエスはさらに唱えた。

「《電光石火》によりて我は瞬く早さを得ん!」

 その補助魔法によって、光のごとき速さを得たカーエスは跳ね返した《極寒の光》とほぼ同時にディオスカスの元に到達する。
 ディオスカスの持つ“シセーリア”は《極寒の光》に対抗する障壁を展開するが、同時に迫るカーエスには対応出来ず、カーエスが障壁の中に侵入するのを許してしまう。ディオスカスは《電光石火》の速さに反応出来ず、カーエスが放った拳を捌く事はかなわない。
 何とか腕でガードするが、《一時の怪力》で強化していたらしく、ガードの上からでも、ディオスカスを吹き飛ばす威力は十分あった。
 この時、ディオスカスが握っていた“シセーリア”がからん、からん、という音を立てて、転がっていく。ディオスカスはその音に、眼を向け、慌ててそちらに手を伸ばした。しかし、カーエスがそれを見逃すはずはない。

「風の中を走れ、疾く鋭く! 《かまいたち》!」

 腕を一閃させてカーエスが放った空気の刃は、先ほどまで彼をあれほど苦しめていた防御能力をもつ魔導武器を呆気無く砕き折った。
 自らに大きな力を与えていた“シセーリア”を破壊されたショックなのか、半ば呆然とした表情でカーエスを振り返るディオスカスに、彼は言った。

「アンタ、俺をナメ過ぎたな。俺が他に何の策も無しに、ベラベラ口を滑らすような阿呆や思っとったんか?」

 要するに、“シセーリア”の二つ同時には障壁を構成出来ないという、“シセーリア”の弱点を突くことができれば、どんな策でもよかったのだ。他にも、対抗策を思い付いていたからこそ、カーエスはディオスカスに“切り替え”の種明かしをした。


「さて、クソ厄介な杖も無うなったトコで、最終ラウンドに入ろか」と、カーエスは宣言すると、右腕を天に掲げて詠唱を始める。

「魔に怒れ、雷雲! 悪に叫べ、雷鳴! そして、罪に降れ……」と、掲げた右手でディオスカスを指すと同時に詠唱を締めくくった。「《雷撃》!」

 その声に応えるように、中空から稲妻が発生し、ディオスカスを撃たんと落ちてくる。
 だが、それを黙ってみているディオスカスではない。《抱き包む石》を唱え、堅いドーム上の岩屋にその身を隠し、《雷撃》を防ぐ。

「また殻に閉じこもりよったか……でも、俺にはちゃんと“見え”とるで? その殻の弱いトコが」

 そう言って、カーエスはまだ《抱き包む石》が解けていないのにも関わらず、その岩のドームに駆け寄り、超近距離から次の魔法の詠唱に入った。

「我が魔力よ集まれ、敵を見据えよ、そして喰らわせろ! 瞬く力を敵にぶつける《ぶちかまし》っ!」

 カッ、と閃光が走ると共に、ドーム上の岩屋に衝撃が走った。流石に堅く、純粋な攻撃力が特徴の《ぶちかまし》もそう簡単に破る事はかなわない。
 が、数秒後ピシッ、という音と共に、その堅いはずの岩屋にヒビが入った。それは放射状に広がっていき、やがて亀裂に変わる。その次の瞬間、《抱き包む石》がバラバラに砕け散り、カーエスの放った《ぶちかまし》はその中にいたディオスカスを捕らえる。
 完全に鳩尾に入った《ぶちかまし》の衝撃に、ディオスカスの身体はくの字に折れ、その顔は苦痛に歪む。

「止めやっ! 我が身を取り囲む熱よ! 我が心に渦巻く怒りよ! そして我が拳に握られし魔力よ! 我に与えよ、破壊の力を! 我が前に立ち塞がりし者よ、喰らいて退け!」

 聞き覚えのある魔法の詠唱に、ディオスカスはカッと眼を見開いた。なんとか防御しようと腕を上げ、防御用魔法の詠唱をしようとするが、先ほどの衝撃は身体から抜け切っておらず、声が出ない。
 カーエスは構わず詠唱を締めくくりながら、腰だめに構えていた手の掌をディオスカスの鳩尾に叩き付けた。

「《魂からの一撃》!」

 魔法の発動と同時に、ディオスカスの胴体に叩き付けられた掌底から衝撃波が走る。
 相手に対する感情や、身体に触れなければならないという、発動に幾つかの条件を持つ分、一般魔法の中でも随一の破壊力を誇る魔法に、ディオスカスの身体はたまらず後方に吹き飛んだ。

「確かに、あの杖はアンタの力を上げてくれたのかもしれへん。でもあの杖は同時にアンタ自身の実力を下げてしもうた」

 しばらく、掌底を突き出した格好のまま、クーデター勢の真ん中に飛ばされていくディオスカスに向かって呟く。そして、彼に付いていく事に決めた者達の中に突っ込んだ瞬間まで見届けた後、カーエスは彼に背を向け、空を仰いで息をつきつつ生徒達の元に歩き出した。

「もし、アンタがあの杖に出会わんかったら、俺はアンタに勝たれんかったやろうな」

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